少女は密かに夢をみる~7週連続G1第5戦 阪神ジュベナイルフィリーズ~

年末に向けての風物詩となっている2歳G1。

2歳馬たちの未来を占う2つのG1のうち、牝馬限定となっているのが阪神ジュベナイルフィリーズだ。

 

馬には1頭1頭、かけがえのない物語がある。

不運の出生を遂げたあの少女もまた、まだ成熟しきらない身体に大きな物語を秘めていた。

メジロ牧場ゆかりの血統を持つ牝馬、メジロドーベル。

世代の頂点へと駆け上るその様からは、生きて競馬ができる奇跡を感じずにはいられない。


メジロドーベルは1994年にこの世に生を受けた。

父は1991年宝塚記念優勝馬メジロライアン。

母は故障のため2勝のみで引退したものの、素質馬といわれていたメジロビューティーだ。

メジロビューティーの血を辿れば、1965年の最優秀3歳牝馬メジロボサツの名がある。

これはメジロドーベルの曾祖母にあたる。

ここで、話はメジロドーベルが生まれる1年前に遡る。

1993年、母メジロビューティーは1頭の牡馬を出産した。

しかし仔馬は生まれてすぐに重度の黄疸を発症してしまったのだ。

新生仔に黄疸が出る確率は1%ほどといわれている、稀な事態だった。

黄疸が起こっても輸血をすれば回復する可能性もあったが、その牡馬――メジロドーベルの兄は、残念なことに感染症を併発しその短い生涯を終えた。

しかし、これは偶然に起こった不運な出来事だったわけではない。

兄に黄疸が出た理由は、母であるメジロビューティーにあった。

 

兄の死後に行われた検査の結果、母メジロビューティーは特殊な血液型だということが判明した。

メジロビューティーには、自身に適合する血液を持つ日本の種牡馬が約22%しかいなかったのである。

母と父の血液型が不適合の場合、母と子の血液型も相性が悪くなってしまう。

その結果、母の初乳を子が飲んでしまうと最悪死に至るのだ。

メジロドーベルの亡き兄の父、サンデーサイレンスはその22%には含まれていなかった。

そしてメジロドーベルの父メジロライアンもまた同じく、不適合の血液型だった。

 

それがわかった時、すでにメジロビューティーのお腹の中にはメジロドーベルがいた。

このままではメジロドーベルも兄と同じ結末を迎えてしまうことになる。

しかし、免疫力をつけるために仔馬には初乳を必ず飲ませなければならない。

そこでメジロ牧場は同じ時期に出産予定だった繁殖牝馬メジロローラントの初乳をメジロドーベルに与えるという策に出た。

 

こうして出生時の危機をなんとか乗り越えたメジロドーベル。

しかし、翌年には重度の骨折をしてしまう。

骨折は手術が行われ無事に成功したが、メジロドーベルは約2ヶ月もの間馬房に繋がれたままだったという。

2歳2月までメジロドーベルが過ごした生産牧場であるメジロ牧場は、メジロマックイーン、メジロライアン、メジロパーマーら名馬が揃った1987年生産馬以降、目立った活躍馬を輩出できていなかった。

それを受けてメジロ牧場は、牧草から育成牧場まですべてにおいて改革を行っていた。

その改革後の第一世代がメジロドーベルの世代だったので、彼女らにかかる期待は大きかったであろう。

そしてその期待にメジロドーベルは見事応えてみせた。

1996年8月、新潟開催の新馬戦でデビューすると、4番人気ながら無事に勝利した。

次走、重賞初挑戦の新潟3歳ステークスは道中の不利もあり、5着に敗れる。

しかしその後はサフラン賞、いちょうステークスと連勝を収めた。

その結果、関東では牡馬を含めても上位の能力があると評価されるようになっていた。

 

12月には阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)に出走。

シーキングザパールが1.5倍と圧倒的な人気の中、メジロドーベルは5.8倍での2番人気。

しかし最後の直線、シーキングザパールは伸びがなく、抜け出したのはメジロドーベルだった。

2着シーズプリンセスに2馬身差を付けての勝利は、1分34秒6という、当時のレースレコード。

また、関東馬の優勝はメジロ牧場出身のメジロラモーヌ以来10年ぶりだった。

これも合わせて、メジロ牧場には嬉しい報せだったに違いない。

そしてメジロドーベルはこの年の最優秀3歳牝馬(現在の最優秀2歳牝馬)に選出された。

メジロドーベルはその後オークス、秋華賞を勝ち、古馬になってからはエリザベス女王杯連覇など、牝馬戦線で活躍をみせた。

現在はレイクヴィラファームにて繁殖牝馬として第2の馬生を過ごしている。


ここ数年、阪神ジュベナイルフィリーズ優勝馬の怪我や成績不振が続いている。

同レースを勝つことに全力投球したかのように、その後全く走らなくなる馬もいる。

しかし彼女たちを「早熟」という言葉で片付けてしまいたくはない。

2歳のこの時期、確かに彼女たちは同世代の中で一番強かった。

例え一時でも、その強さを世間に誇示できるということは、すごいことだとわたしは思う。

そこにたどり着くまでには、様々な物語が渦巻いている。

そうして2歳時に掴んだ夢は、これからもずっと彼女たちの中で生き続ける。

その密かな夢がいつ、また花開くかは、誰にもわからないこと。

 

3歳時か、古馬になってからか、それとも繁殖牝馬となってからか。

 

いずれにせよ、わたしたちは彼女たちの夢が大輪の花を咲かせることを夢見て、見守っていくしかない。

 

メジロドーベルもまた、活躍産駒を輩出するという夢が残されている。

2014年には孫にあたるショウナンラグーンが青葉賞を制し、メジロドーベルの子孫ではじめての重賞勝利となった。

こうして血が受け継がれて、その先で活躍馬が出てくれたらこんなに嬉しいことはない。

繋がれた命が、繋いでいく命。

メジロドーベルの血に託される、夢はまだ、終わっていない。

文・笠原小百合

写真・ウマフリ写真班