カネヒキリ〜不屈の魂〜

最高に競馬が面白かった時代はいつだろうか?

芝でその時代を決めるのならば、たくさんの意見が出てきて議論も白熱するだろう。

 

ではダートは?

私に言わせれば、それは議論にすらならない。

 

王者カネヒキリが君臨した、あの時代だ。

先日、不慮の事故で亡くなった王者へ、彼の紹介記事を書く事で追悼としたい。

カネヒキリと三冠馬

カネヒキリのデビュー後の話をする前に。

 

彼の同世代には、歴史的な名馬がいる。

ご存知、ディープインパクトだ。

 

2002年3月25日。ディープインパクトはノーザンファームに産まれ、同年のセレクトセールで金子真人ホールディングスに落札された。価格は7350万。その後の活躍は説明不要だろう。

カネヒキリはそのディープインパクトが産まれる約ひと月前、2月26日に誕生している。

場所はノーザンファーム。セレクトセールで金子真人ホールディングスによって落札(価格は2100万)。

そう、ディープインパクトと似通った生い立ちなのだ。

 

デビュー後、ダートレースに出走する度にインパクトある勝利を収めていく彼についた愛称は「砂のディープインパクト」。若駒の頃のカネヒキリを語るならまず欠かせないニックネームではあるが、しばらくするとそう呼ばれることは無くなっていった。なぜならば、他の名前を借りる必要がなくなったからである。何年ものあいだ、彼は、ダートの王者「カネヒキリ」として君臨した。そこにはディープインパクトの幻影はない。

そして、3年で引退したディープとは違い、6年ものあいだ、彼は最強のダート馬として現役を続けた。引退の頃にはディープインパクトの子供たちがデビューをしており、ある意味「時代を跨ぐ」活躍であったと言える。

戦友たち

名勝負は一頭では生まれない。

個性的なライバルたちがいてこそ、だろう。

 

カネヒキリについて語る上で何と言っても欠かせないのは、同期の超良血馬、ヴァーミリアンだろう。

母は、ダイワスカーレットやダイワメジャーなど数々の名馬を輩出してきた「スカーレット一族」と呼ばれる名門母系。父は日仏でG1を勝利している名馬エルコンドルパサー。まさにエリート中のエリートである。

彼自身もまた傑物であり、6年間の現役生活でG1を9勝。ダート界を牽引してきた馬であった。しかしそんな彼でも、カネヒキリに先着した事は一度もなく、現役生活を終えた。同年に生まれつき、周囲も認めるライバル関係だったにも関わらず、だ。何とも数奇なものだ。そう、数奇だと、私は感じている。私は何故だかそれを、カネヒキリが「もっている」馬だった理由として感じてしまっている。

 

その他にもライバルは多くいた。

同期だと、鬼の末脚の持ち主であったフェブラリーS勝ち馬、サンライズバッカスも魅力的だ。芝の重賞馬ディープサマーはダート転向後も良い走りを見せていたし、マイルで安定感のあったワイルドワンダーや中長距離が得意なワンダースピードも実力が確かな馬たちだった。地方に目を向けると、交流G1・中央G1に28回出走し続けた叩き上げの名馬、ボンネビルレコードもいる。

 

先輩には、日本初の海外G1勝ち馬シーキングザパールの息子であり自身も海外挑戦経験のあるシーキングザダイヤ。8歳時にG1を制覇し現在は種牡馬として活躍中のタイムパラドックス。ドバイでの勝利経験があるユートピア。地方出身で強豪たちを撃破してきたアジュディミツオー。しかしこの猛者たちをカネヒキリが一蹴したのは、まだ彼が3歳の秋だった。ジャパンカップダート。新しいダートの一時代が幕を開けたと、そう感じさせられるレースであった。

 

後輩にも名馬は多かった。

デビュー直後に渡米してダート本場で重賞勝利を収めたカジノドライヴ。地方で英雄的な活躍をしてきたフリオーソ。芝の出走経験がないにもかかわらずダートでの圧倒的な走りから、ダービーでは3番人気と推されたサクセスブロッケン。G1を6勝し、ドバイワールドカップでは2番人気に指示されたスマートファルコン。G1を5連勝したエスポワールシチー。豪華すぎる顔ぶれである。どの馬も、自分の上の世代を倒し新たなる王者として君臨する事を渇望していた。

しかしカネヒキリが彼らと戦う事になったのは、しばらくあとの事である。

自分との戦い

屈腱炎という病気をご存知の方も多いだろう。

「不治の病」「競走馬のガン」と呼ばれる、脚部の病だ。これを発症すれば、かなりの確率で引退を余儀なくされる。さらには復活しても元々の走りが出来るとは限らない。

 

カネヒキリが屈腱炎を発症したのは、4歳。秋のレースを目指して調整している時だった。一年の治療とリハビリを経て復帰を狙った5歳の秋、まさかの屈腱炎再発。さすがに引退も囁かれたが、陣営が選択したのは、再度の治療であった。

 

カネヒキリがダートの戦いに戻ってきたのは6歳の秋。一戦叩いた後に、挑戦したのは、3年ぶりのジャパンカップダート。そこで彼は先に述べた後輩たちを完膚なきまでに叩きのめしたのだ。

まさに衝撃の復帰。決して層が薄かったわけではない。むしろ豪華なメンバーだった。そんなレースでの勝利は、自分との戦いでの勝利でもあった。

その後2年の時を取り返すかのように東京大賞典、川崎記念と勝ち星をあげ、G1を3連勝。

春には骨折という悲劇が彼を襲ったが、1年後に再度、驚異の復活を果たす。

復帰後は3戦して1着が1回、2着が2回とそれなりの成績を残したが、そこでまさかの両前脚での屈腱炎発症。

ようやくの引退であった。

普通ならば何度引退しているかわからない怪我やアクシデントを乗り越え、最後まで走り続けた姿は、やはり一つの「王者」としての正しい在り方だと思う。

 

何戦かして、その強さを見せつけ同世代を圧倒し、土がついて評価がさがる前に種牡馬となる……それもまた、正しいサラブレッドの在り方だし、あえてここで否定するつもりもない。

だが、カネヒキリのように、年上の猛者たちを退け、勢いある若手たちと何度も対戦する姿は、私にはとても格好の良いものに感じられた。取り返しのつかない怪我をする前に、という気持ちは誰もが同じだっただろう。だが私は心から無事を願いつつ、あの素晴らしい走りをもう一度、もう一度だけ見たいと、結局引退までの6年間思い続けてしまったのだ。

 

そして引退後、あの素晴らしい走りの継承者を待っていた。

ブラッドスポーツ

競走馬を生産する以上、ダービーを獲りたい人がほとんどだろう。だから以前は、芝馬が厚遇を受け、ダートを専門とするような種牡馬は軽視されるような傾向にあった。

しかし近年、それは変わりつつある。

母親の血統などを踏まえ、より「らしさ」を重視した配合が行われるようになったからかもしれない。

カネヒキリもヴァーミリアンも、種牡馬入り初年度からずっと大量の申し込みが舞い込み、順調に産駒を競馬場へと送り込んできた。

2016年度のリーディングでは、5月末現在でカネヒキリが35位、ヴァーミリアンが45位だ。

ダート馬としてはかなりの位置だとは思う。

しかし、ライバルのヴァーミリアンは芝の重賞勝ち馬をだし、さらには桜花賞で掲示板(5着)入りまで果たしているのに対し、カネヒキリの子供は平均値が高いが大物が出ていない状態だ。

日本は特に、打率が高い血統であることよりも現役時代大物であったことを重要視して配合を決める傾向が強いと感じられる。売りに出す際に付加価値をつけるためであろう。

だからこそ、残された世代から大物がでてこないうちは、その血を継いでいくのは厳しい状況にある。

雷の精

ここであえて、カネヒキリの名前の由来の説明をさせて欲しい。ハワイ語で「雷の精」を意味すると言う。綴りはKane Hekilli。

まさにカミナリのような末脚を持つ彼に相応しい名前ではないか。

 

そもそも、カネヒキリの「カネ」とはハワイの4大神のうちの1人「万物の根源の神」を指すという。

そして、その4大神を信仰していた古代ハワイで最大であった年中行事が、4大神のうちの「豊穣の神」を中心とした神々を祀る、「収穫祭(マカヒキ)」であったらしい。

 

カネヒキリの訃報が届いた週末のダービーを勝った馬の名前もまた、マカヒキである。

オーナーは金子真人ホールディングス。

生まれはノーザンファーム。

デビュー間もない頃に鼻出血というアクシデントで休養を余儀なくされたが、乗り越えてタイトルを手にした。

 

そして彼の父は、同期であった、ディープインパクト。

 

面白いほどに繋がっているではないか。

この文章を、運命という言葉や、スピリチュアルな言葉で締めようとは思わない。

だが、彼の遺志を継いでいく者は、確かに存在しているのだろう。

少なくとも私はそう感じる。

文・横山オウキ

写真・笠原小百合